フットボールカルチャー > フットボールチーム特集 >'You'll Never Walk Alone' パート1
ヨーロッパの王者リバプールFC(Liverpool FC)が、‘サポーターの決死隊’を引き連れて、クラブ選手権出場のためふたたび日本にやってきた。
先月、FIFAクラブワールドチャンピオンシップが行われ、華々しいフットボールの国際大会に日本が再度沸いた。世界一のクラブチームという栄誉をかけて戦ったのは6チーム。その中に、強豪リバプールがいた。そして、この5度のヨーロッパチャンピオンと共に、クラブを凌ぐほど有名なコップと呼ばれるサポーター集団も、はるばる遠征してきたのだ。
45年の歴史を持ちながら、ときにマスコミの悪評を受けてきたクラブ選手権。FIFA(国際サッカー連盟)は、この選手権に不足している威信を持たせようと切磋琢磨してきた。そして2000年、チャンピオンズリーグの全世界版という理想を掲げ、第1回クラブワールドチャンピオンシップがブラジルで行われた。その後、世界中の各国リーグにおける超過密スケジュールによって開催が困難となってしまったが、トヨタカップを引き継ぐ形で第2回大会を行うという妥協案に落ち着いたのだった。今大会は、アジアとアフリカ、中米とオセアニアからのチームがそれぞれ対戦し、各勝者がフットボール最強二大陸である南米と欧州の代表と決勝進出をかけて戦うトーナメント戦となっていた。FIFAのセップ・ブラッター会長は、大会前にリバプールが優勝を切望していることを公にした。「リバプールと直接話をしたが、あらゆる大会を制してきたけれども、まだ世界選手権だけは優勝していないのだと言っていた」と、ブラッター会長は語った。
12月の来日は、リバプールにとって3度目の日本訪問だった。欧州フットボール界の巨人リバプールには輝かしい歴史がある。個性と気迫にあふれたチームとして、70年代後半から80年代にかけて、ヨーロッパ中から恐れられていたのである。強将ボブ・ペイズリー(Bob Paisley)の指揮下、リバプールは1977年から1984年の8年間に、4度欧州チャンピオンズカップを勝ち取った。トレーナーやコーチが集い、緊密な人間関係を築いたリバプールの‘ブーツルーム’と呼ばれる有名な部屋がある。そこから選ばれた者が監督を引き継いでいくという伝統のおかげで、リバプールはその後も国内での成功を続けた。エムリン・ヒューズ(Emlyn Hughes)、アラン・ハンソン(Alan Hanson)、ケニー・ダルグリッシュ(Kenny Dalglish)、イアン・ラッシュ(Ian Rush)、ジョン・バーンズ(John Barnes)などの伝説のプレーヤーによって、最強クラブの地位へとのし上がり、10年以上にわたってその座に居続けたのだった。
おそらく、クラブの真の原動力となっているのはサポーターだろう。リバプールのサポーターは、逆境に直面しても屈することのない激しい情熱と忠誠心を持つことで世界中に知られている。昨年のチャンピオンズリーグ決勝戦、リバプールは前半を終了して3-0で負けていた。ACミラン(AC Milan)の手にかかり、敗北に向けてじりじりと苦しみあげられていたのである。しかし、リバプールからはるばるイスタンブールまで駆けつけてきた4万人ものサポーターは、くじけず大声援を送り続けた。おかげでリバプールは3-3に追いついてロスタイムを終えると、PK戦でミランを下すという、おそらくフットボール史上最高の逆転劇を演じたのだった。これに驚いたディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)は、後にこう語った。「1970年にワールドカップで優勝したブラジル代表チームでさえ、ミラン相手に3-0から逆転することなど不可能だっただろう」
2005年のリバプールは、前回1984年に来日した時と同じように強いチームではあるが、以前とはすっかり変わっていた。‘ブーツルーム方式’はもはや行われなくなり、チームは才能ある耳慣れない名前の外国人選手を大勢擁している。ラファエル・ベニテス監督(Rafael Benitez)は戦術の天才と言われ、80年代を思わせるテンポの速い攻撃スタイルを好む。チームのキーマンは、キャプテンを務めるイングランド代表のスティーブン・ジェラード(Steven Gerrard)。デイヴィッド・ベッカム(David Beckham)にも引けを取らない鋭いパスを出すことのできる、驚異的な才能の持ち主である。25才のジェラードは、けして妥協を許さず、いざという時に激しい意欲を発揮するプレーヤーだ。
果たしてリバプールは世界を制することができたのか? 続きはパート2で
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