フットボールカルチャー > フットボールチーム特集 > 1872年のスコットランド
1872年、スコットランドは、ショートパスを多用した戦術‘パス&ラン’を披露した。当時、イングランドの人々は、そのようなプレーを見たことがなかった。今では当たり前となったこの戦術の文化的背景について、フットボールカルチャー記者、ベン・リトルトンが考える。
1872年、世界初のフットボール国際試合で、スコットランドはイングランドと0-0で引き分けた。この時の両チームのプレースタイルは、まったく違っていた。イングランドは1-1-8のフォーメーションを取っていた。このフォーメーションでは、とにかくボールを持ったプレーヤーがドリブルで進んでゆき、タックルされそうになったら前にパスを送る。そして、後ろについていた7人のフォワードの1人が、そのボールを追いかける、というものだ。
一方、スコットランドは、2-2-6フォーメーションで6人のフォワードを2人1組3列に配置した。そして、守備、中盤、攻撃の各ペアは、なるべく自分のペアへパスを回した。この‘パス&ラン’という画期的な戦術は、コンビネーション・ゲームとして知られ、イングランドの人々はまったく見たことのないものだった。
文化の違いと戦術 それぞれの戦術は、各チームの文化の違いを表していた。イングランドの個人主義という性質は、ユニフォームに表われていた。‘スリー・ライオンズ(The three lions:3頭のライオンの紋章)’がついた白いシャツはおそろいだったが、ニッカポッカと靴下は各選手が通っていた学校の色のものを、着用していた。
スコットランドチームは、クイーンズ・パーク(Queen's Park)の選手から成り、全員、青いシャツ、白のニッカボッカ、青と白の横縞の靴下を、身に付けていた。
フットボール歴史学者であり、ハムデン・パークにあるスコッティシュ・フットボール博物館館長のゲド・オブライエンは、大きく違うプレースタイルについて、次のように説明した。 「それは、階級意識のせいです。スコットランドはイングランドに比べ、より共同主義的であり、平等主義でした」
「イングランドのフットボールのルールは、個人主義が重要とされるパブリック・スクールで決められました。しかし、スコットランドでは、社会が重要とされていました。フットボールに対する階級的偏見はなく、誰もが道でフットボールをして育ちました。クイーンズ・パークは、13人の若者から成るチームでした。彼らはアバディーンとインヴァネスの間の北部地域出身で、金融や商業など、肉体労働以外の仕事を得るためにグラスゴーに来ていました。彼らは、1867年7月に正式にチームを結成しました。それは*クライドサイドが世界の4分の1の船と鉄道を製造していた時代でした」 *スコットランド中西部、クライド川沿いの地域。かつて造船で有名だった。
「イングランドでは、130年間、フットボールは労働者階級の娯楽として見られてきました。しかし、彼らは上流階級の態度やルールでフットボールをしていたのだから、皮肉なものです」
イングランドへ伝わったコンビネーション・ゲーム 試合後、イングランドの選手は地元に戻り、スコットランドのコンビネーション・ゲームについて皆に話した。まもなく、‘スコッチ・プロフェッサー(Scotch Professors:スコットランド人教授)’として知られる数百人のスコットランド人が、イングランドでプレーした。プレストン・ノース・エンド(Preston North End)には、8人のスコットランド人が在籍した。また、スタジアム契約のもつれから、エバートン(Everton)がアンフィールドを去り、11人のスコットランド人を擁するリバプール(Liverpool)が、1892年に設立された。
無得点で終わった1872年の試合は、今は意味もないことだ。もっと重要なのは、スコットランドのコンビネーション・ゲームが、最初にイングランドで真似されて世界に広がったことだ。つまり、スコットランド人のおかげで、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、スウェーデンがコンビネーション・ゲームというスタイルを取り入れるようになったのだ。
文:ベン・リトルトン
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