フットボールカルチャー > フットボールチーム特集 > 2002年の日本代表
「この日本代表チームは、未来への遺産を築きました」と、フィリップ・トルシエ(Philippe Troussier)が言った。当時日本代表チームの監督だったトルシエがもたらした変化は、2002ワールドカップに間に合うようにチームの力を伸ばしただけでなく、日本と日本の文化に影響を与えたと、フットボールカルチャー記者、ベン・リトルトンは説明する。
1998年、日本代表監督に就任したトルシエが最初に行なったことのひとつに、チームで食事をする時に年齢別にまとまってすわることの禁止があった。彼が就任するまでは、年長者を敬うという日本の慣習に従って、若手選手とベテラン選手は別々に座っていた。
しかし、トルシエは、フランスワールドカップに出場した三浦知良など、チームの中心的存在だったプレーヤーを代表から外した。そうすることで、チームの気風が変化していき、その変化が日本全体へと広がった。
2002年ワールドカップ本大会が始まる前、石原慎太郎東京都知事はトルシエ監督のことを、「‘二流’だ。‘白人’の悪い性格が出ている。‘いじめ’だ」と言って、軽視した。1860年代にペリー提督が日本に開国を認めさせて以来、日本人は新しい発想を持ち込んでくる“ガイジン”に疑念を抱く国と思われてきた。最近では、ブラジル生まれの日産自動車社長兼最高経営責任者カルロス・ゴーン氏が、赤字だった会社を立て直したにもかかわらず、‘現代のペリー’と評された。
日本にもたらされたフットボールカルチャー トルシエは、年功序列制度を改革し、中田浩二や市川大祐といった若手にも、チームのほかのプレーヤーと対等でいるよう促した。日本代表が激しい攻防の末ベルギーと引き分け、その後ロシアとチュニジアに勝つと、スタジアムも街の中も、かつてないほどの熱狂に包まれた。感情は抑えなければいけないという独特の観念は、どこかへ消え失せた様子だった。大阪では、ファンが日本の勝利を祝し、橋の上から川へ飛び込んだ。
鈴木昌Jリーグチェアマンは、この新しい風潮が続いてほしいと願った。 「ワールドカップによって、‘フットボールカルチャー’がどういうものか、日本の皆さんに見ていただくことができました。今度は私たちが、そのカルチャーを日本中に築かなくてはなりません」
鈴木チェアマンは、年功序列制が改革されたことはフットボールが与える影響の一例にすぎないと見ており、もっと変化をもたらしたいと考えていた。
彼は続けて言った。「日本人は社会との関係を失っています。人と人とのコミュニケーションがなくなってしまったのです。東京や横浜などの大都市では、特にその傾向があります。私の役目は、日本の皆さんがフットボールを通して対話し、連帯感を感じる機会を提供することです。フットボールを通じて、人々が一体となっていってほしいのです。ヨーロッパでは、フットボールは宗教のようなものです。日本は宗教社会ではありません。そこで、フットボールがその代わりとなればいいと思っています。つまり、日本人同士で共有できるものを持ってほしいのです」
トルシエも同じ考えを語った。 「この日本代表チームは未来への遺産を築きました。しかし、行く手はますます厳しくなるでしょう」
文:ベン・リトルトン
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