フットボールカルチャー > フットボールチーム特集 > イングランド代表とスポーツ心理学
有名なスポーツ心理学者、ウィリー・ライロ博士(Dr Willi Railo)の助けを借りて、イングランド代表のフットボールは大きく変わった。それまでは、努力を美徳とする伝統的価値観と愛国心に縛られていたチーム。そこへ博士は、試合に備えて心の準備をする方法を採り入れた。
2002年ワールドカップ、グループリーグでのアルゼンチン戦。デイヴィッド・ベッカム(David Beckham)は決勝点となるペナルティーキックを決めた。イングランドのフットボールにとって、とても象徴的な出来事だった。
その前のワールドカップで同じアルゼンチンと対戦した時、冷静さを失ったベッカムは、一発退場となっていた。2002年のゴールよって、やっと償いを終えたのだ。一方イングランド代表は、ワールドカップ前に行われた3つの国際大会のうち、2つの大会でPK戦により敗れ去っていた。2002年のアルゼンチン戦での手堅い勝利は、チームの変ぼうぶりをはっきり表していた。
イングランド代表に救世主 選手たちが自信をつけたのには、有名なスポーツ心理学者、ウィリー・ライロ博士の功績がある。ズベン・ゴラン・エリクソン(Sven Goran Eriksson)は、イングランド代表監督に就任すると、博士をイングランドに呼び寄せた。博士はこれまでに、スウェーデンの英雄的テニスプレーヤー、ビヨン・ボルグをはじめ、何人ものスポーツ選手の能力向上に協力してきた。
ライロ博士はすぐに、イングランド代表にはよくある欠点がはっきり見て取れると診断した。チームは、勝たなければいけないというとてつもないプレッシャーにさらされていた。試合の中で重要な場面になると、緊張で自滅してしまうか、実力以下のプレーしかできなくなってしまうのだった。96年ヨーロッパ選手権(ユーロ96)準決勝の対ドイツ戦、98年ワールドカップの対アルゼンチン戦ともに、選手はプレッシャーでパニックとなり、PKを失敗。そのために、敗退している。
また、選手の間には、伝統的で古風な価値観のためにがんばる傾向があった。エリクソン監督の前任、ケビン・キーガン(Kevin Keegan)は、大義のため、つまりお国のためにプレーすることを強調していた。このような美徳は、選手に余計なプレッシャーを与えるだけだった。また、それによって選手は不安になり、自分のプレーのことを気にしてばかりいるようになる。スポーツ心理学では、自分のプレーに不安を抱くことにより、選手は習慣的に行うはずのアクションを、素人のように意識してしまうと考えられている。これはプレー全般に悪い影響をおよぼし、選手はPKをはずしてしまうこともあるのだ
イングランドでは、昔からフットボールに科学的方法を受け入れない傾向がある。イングランド的な考え方や価値観から生まれた文化的現象だ。努力と献身、これが、試合に臨むのに最も大切なことであり、正しい態度であるという考え方だ。
「良いフットボールができないのは、‘国のために’というプレッシャーを背負ってプレーしているからです。国のためにプレーするのは筋違いです。そんなふうに考えてプレーしていてはいけません」ライロ博士は、問題をこう説明する。
病の治療に取り入れられた方法とは? 博士はイングランド代表チームに新しいアイディアを持ち込んだ。自分を信じ、自分の実力に自信を持つという意識を、選手の心に植え付けようとしたのだ。また、最近の大会で敗北の大きな原因となっていた、負けることへの恐怖心を、選手の心からなくそうとした。「勝つためには、負けることを恐れるな」そうすれば、選手は実力を100パーセント出し切ることができる。
博士は、他の考え方も選手に教え込んだ。‘視覚化’というコンセプトが取り入れられたのだ。選手たちに肉体だけでなく、イメージトレーニングをするよう働きかけた。イメージトレーニングとは、実際に行動する前に、それを実行するのに伴う一連の行動を、頭の中でやってみることだ。
エジンバラ大学心理学部デーヴ・コリンズ教授は、「実際に行動をしていても、行動を頭に描いていても、脳の活動の3分の2以上は同じなんです」と説明する。そのため、動きを頭に描くことは、選手が実力を最大限に引き出し、試合中に不安を取り除くために役立つ。
デイヴィッド・ベッカムは、2002年ワールドカップのアルゼンチン戦でペナルティーキックに向かう時、自分のペナルティーショットを心に描いていた。それは、見る者誰の目にも明らかだった。深呼吸をする様子、周囲からのプレッシャーや自分の中にあるプレッシャーを遮断する様子、そしてあの冷静なゴールは、彼が視覚化を実行していた証拠だ。
ライロ博士の功績 2002年ワールドカップの準々決勝進出以降、イングランドがさらに良い成績を収めるようになれば、選手と監督はファンにもメディアにも大歓迎されるだろう。でも、手柄の一部はライロ博士にある。博士は、過去にイングランド代表を苦しめていた病を診断し、治療したのだから。
文:トニー・グライムズ
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