フットボールカルチャー > フットボールの歴史 > 大西洋を渡ったフットボール
17世紀以来の英国人による努力にもかかわらず、アメリカではフットボール(日本やアメリカでいうサッカー)の人気がなかなか高まらなかった。それでも長い時を経るにつれ、英国からアメリカに移住した人々のおかげもあって、フットボールは野球やバスケットボールに負けないくらいアメリカ人の心をつかむようになっていった。ベン・リトルトンがその経緯を説明する。
歴史家エリック・ホブズボームが、20世紀の戦争と平和について書いた作品の中で、文化に関してこう述べている。 「20世紀はアメリカの世紀である。ある分野、つまりあるスポーツを除いては」
このスポーツとはフットボールのことだ。フットボールは、アメリカ以外のすべての大陸でもっとも人気のあるスポーツとなっているが、アメリカではなかなか一番の人気を得ることができない。しかしこれは、フットボールが早い時期にアメリカに伝わらなかったという理由からではない。"
17世紀にアメリカへ渡った入植者が、ネイティブ・アメリカンによる‘彼らはフットボールをするために集まる’という意味のPasukkquakkohowogと呼ばれるスポーツがあったことを記録している。試合は、長さ1マイル(約1.6キロメートル)もある幅の狭いピッチ上で、大人数の2チームが対抗した。ボールには、膨らました動物の膀胱が使用されていた。ニューイングランドとバージニアに移住してきた英国人と、その子孫たちがプレーしていた大衆フットボールに似ていた。ところが、マサチューセッツ州は、1657年に街でこのスポーツを行うことを禁止してしまった。
19世紀に入ると、アメリカのフットボールは、エリートたちのフットボールカルチャーに支えられて受け継がれていった。これもまた、英国からもたらされたものだった。アメリカの一流大学は、英国パブリック・スクールのスポーツ文化を真似したのだった。しかし、フットボールのルールはきっちりと決められておらず、よく変更された。手も足も使うことができた。それでもスリル満点のフットボールに感化されたハーバード大学の学生が、1827年に『The Battle of the Delta』 (デルタの戦い)と題したユーモアあふれる詩を書いた。この詩が、アメリカの大学におけるフットボールについての最初の記録である。
イングランドのフットボールとアメリカンフットボール 19世紀が終わりに近づくと、アメリカのフットボールは発展しなくなった。1863年、イングランドでは、FA(イングランドサッカー協会)がパブリック・スクールで採用されていたルールを統合して、フットボールの統一ルールを制定した。しかし、英国人はそのルールをアメリカに組織的に伝えることはなかった。なぜなら、アメリカでも同じようにルールを統合し、‘アメリカンフットボール’が誕生したからだ。
このルールは、‘ボストン・ゲーム’をもとに作られた。ボストン・ゲームは、一流高等学校とハーバードの学生のための、大規模で人気のあるクラブ、オネイダFC(Oneida FC)によって、1862年から1865年にかけて体系化された。ほかの一流大学がいろいろなルールで試合をする一方、ハーバード大学は、その後10年にわたってこのボストン・ルールを固守した。そして、ハーバード大学の非常に優位な立場と影響力により、ボストン・ルールは1870年代中ごろまでに、大学フットボールとして正式なものとなった。それが1900年までには大変な人気となり、ルーズベルト大統領が、フットボールおける暴力についての議論に個人的に参加するほどだった。大統領はまた、「決してひるむな。ファウルを犯さず、ラインを突破しろ」と、フットボールに例えて演説を行った。
FAのルールに基づいたフットボール(つまり日本やアメリカでいうサッカー)は、主に英国から押し寄せた労働者階級の新たな移民によって持ち込まれた。しかしフットボール(サッカー)は、アメリカのスポーツ文化の中心である一流大学から、事実上締め出された。アメリカの商業市場は、すでに野球、バスケットボール、アメリカンフットボールで満たされていたのだ。フットボールは、マサチューセッツ州フォールリバーのようなニュー・イングランドの産業が盛んな地区の労働者社会や、大都市にあるヨーロッパからの移民社会では、根強い人気があったのも確かだ。そうはいっても、20世紀に入るまでには、フットボールが20世紀初頭のアメリカスポーツ文化において、マイナーな存在になることはわかりきっていた。しかしその後1970年台に入り、ペレ(Pele)やジョージ・ベスト(George Best)が北米サッカーリーグ(North American Soccer League)にやってきて状況は変わった。現在では、アメリカはFIFAランキング上位10位に入っている。数百年経った今、英国からの恩恵を受けているのだ。
文:ベン・リトルトン
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