フットボールカルチャー > フットボールの歴史 > ブラジルにフットボールをもたらした人物
イングランドで10年間の学生生活を終え、生まれ故郷のブラジルに戻ったチャールズ・ミラー(Charles Miller)は、誰もフットボールを知らないことに驚いた。フットボールを伝えたミラーが残した遺産は、今でもブラジルに残っている。ベン・リトルトンのレポート。
ブラジルに初めてフットボール(サッカー)が持ち込まれたのは、1894年にさかのぼる。当時19才のチャールズ・ミラーが、2個のサッカーボールを持ってサントス港に降り立った年だ。ブラジルまでの長い船旅の間は、甲板の端から端までドリブルしながら、ボールさばきを練習していた。ミラーの父でスコットランド人のジョンは、サンパウロの鉄道技師で、息子に立派な教育を受けさせるため、イングランドの寄宿学校に入学させた。学生生活の10年間でミラーが学んだことは、フットボールだけだった。
波止場で息子を出迎えたジョンが、「チャールズ、手に持っているのは何だ?」と聞くと、ミラーはこう答えた。 「学位ですよ。あたなの息子は、フットボール学部を卒業しましてきました」
帰国したミラーは、自分以外、誰もフットボールのルールを知らないことに驚いた。そこで、クリケットのシーズンが終わると、友人や同僚を2チームに分け、フットボールのやり方を教えた。初めての試合は、両者とも英国人から成る、鉄道会社チームとガス会社チームの間で行われた。場所は、サンパウロで鉄道をけん引していたラバの放牧地だ。1896年、ある記者が次のように書いた。‘彼らは、木の柱で作られた長方形の枠の中に黄色のボールが入ると、大喜びしたり、ひどく悲しんだりしている’
ミラー自身は「当時の一般的な反応は、‘なんて楽しいスポーツだ’というものだった」と語った。その後6年以内に、ブラジル人は英国人エリートと一緒に試合をしていた。
「少年たちによる20人制の試合の審判を頼まれたことがあった。この試合でさえ、1,500人が見に来たよ」と、ミラーは言った。
ブラジルでの英国人コミュニティーは少人数であった。しかし、彼らは鉄道と銀行ローン、そしてフットボールをもたらすなど、ブラジルの発展に大きな影響を与えた。10年もしないうちに、フットボールは都会に住む裕福な白人や貧しい黒人の若者たちの間で、趣味として人気が出た。そして1910年代までに、フットボールはブラジルで最も人気のあるスポーツとなり、リオ・デ・ジャネイロだけで、南米のどこの国よりも多い数のサッカーグランドが作られた。
では、ミラーはどうなったのだろうか。才能ある左ウィングとして活躍した彼は、サウサンプトン(Southampton)の前身であるセント・メアリーズFC(St Maryユs FC)でプレーしたこともあった。ブラジルに戻ってからは、サンパウロ鉄道、ロイヤル・メール・ラインで働き、旅行会社を設立した。サンパウロが小さな町から大都市に成長するのを見守った。彼の妻、アントニエッタ・ラッジは、ブラジルで最も偉大なピアニストのひとりとなった。
ブラジルはミラーを忘れていない。彼の思い出は、フットボール用語として残っている。ボールをかかとで蹴り上げるという彼の有名なトリックは、ミラーの名前‘Charles(チャールズ)’にちなんで‘chaleira(シャレイラ)’と呼ばれている。サンパウロの中心にある通りには、Praca Charles Millerという名が付けられ、ミラーの名前が永遠に残されている。
文:ベン・リトルトン
この記事は、アレックス・ベリョス(Alex Bellos)著の『フットボール:ブラジル人の生き様(Futebol: The Brazilian Way of Life)』(2002年ブルームズベリー出版)のレビューをもとにしている。
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