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日本の真の姿を諸外国に理解してもらう。
その突破口が「観光」だと思ったんです。

 

大学卒業後に航空会社 JAL に就職。その後、松下政経塾で学び、そこで観光の重要性に気づく。ロンドンメトロポリタン大学へ留学し MBA を取得。現在、東洋大学国際地域学部国際観光学科の准教授。

名前:
島川崇さん

留学先:
London Metropolitan University

プログラム名:
MBA (Tourism & Hospitality)

“紆余曲折”とは、まさに島川さんのような生き方を指す言葉ではないだろうか。国内大手の航空会社 JAL に勤務。その後、観光学を学ぶために英国留学、政治家へのチャレンジ、挫折……。島川さんのこれまでの人生にはたくさんの転機があった。それでも見失わなかった“日本の素晴らしさを世界の国々にきちんと理解して欲しい”という思い。
希に見る激動の人生を歩む島川さんの半生と、英国留学がもたらせた価値観。その物語を紐解いてみたい。

政治を学ぶために退社

1972年に政府が発令した航空憲法、“45/47体制”が崩壊したのは1985年のこと。いわゆる航空事業の規制緩和である。国内の航空会社は、それぞれ独自の戦略を立てて、利用者へのサービスの向上、経営基盤の強化を目指していくことになった。しかしそれでも45/47体制の名残は受け継がれ、実質的には“官僚優遇”の体制が立ち消えることはなかった。
大学を卒業した島川さんが航空会社 JAL に入社したのは1993年のこと。
「規制緩和が敷かれてもなお、航空会社は“民のため”というよりは“官僚のため”でした。官僚の保身のために民間会社が犠牲になっているというようなことが、すごくあったんですね。それで“今後、国際競争が激しくなっていく中で、官僚がこういった姿勢では日本がダメになる”、そう思うようになったんですが、“これから自分が官僚になって霞ヶ関を変える”と言っても手遅れ。ではどうしようかと考え、“そうだ、政治家になってこの体制を変えていけば良いんだ”と思ったわけです」
5年間働いた民間企業を辞めて政治家に転身する。とは言え当時の島川さんには、地元に地盤があるわけでもない。
「政治家になりたいと本気で思っても、どうやってチャレンジすればよいか、私には、そのつてもお金も何もなかったんですね。そこであれこれ思案していたら、松下政経塾のことを思い出したんです。“これだ!”と思いましたね。何と言ってもお金をもらいながら政治を学ぶことができるんですから」

日本を知ってもらうための観光学

無事に松下政経塾に合格した島川さん。そこで日本の政治について多くのことを学び研究していく。
「学んで思ったのは、日本の政治のネックは外交だと言うこと。確かにそれまでも素人感覚で“日本の外交はダメだな”と思っていたんですけど、政経塾で学びながら色々調べてみると、日本が海外に対してやっている政策は案外きちんとしているってことが分かったんです。発展途上国に対する ODA もそうですよね。でも問題は、そういった活動が諸外国にきちんと評価されていないこと、つまり“きちんと伝わっていない”ことなんです」
なぜ日本は世界から誤解されるのだろう、なぜきちんと伝わらないのだろう、そう考えたとき、“観光”というキーワードにたどり着いた。
「“日本は閉ざされている”そう気づいたんです。その象徴が観光事業。日本から海外へはたくさんの旅行者が訪れるのに、海外からはそれほど来ない。だからいつまで経っても日本の正しい姿が世界に伝わらないんじゃないかと思ったんです。世界の国々では、観光を国の政策としてやっています。ブリティッシュ・カウンシルもそうですが、国を挙げて自国の魅力、真の姿をアピールしている。日本は民間任せで政策としてやっていませんでしたから」
日本の魅力を知ってもらう、日本がやっていることを海外にきちんとした形でアピールする、そのためには観光学を政策論として学ぶ必要がある−−−そう島川さんは思った。
「ただ、当時の日本では政策論としての観光学を学ぶ場所がなかったんです。もちろんホテルマネジメントなどを学ぶことはできましたけど、国際関係学の視点もふまえた政策としての観光を学ぶ場所がない。そこで海外留学を決めました」

サステイナブル・ツーリズムの教え

とはいえ、観光は“理想”だけではいけない。きちんとした収益をもたらすことも大事だから、国の政策と同時に、民間が観光に対して活力を持てるようにすることも必要だ。つまり観光学を学問としてだけでなくより実践的なレベルまで引き上げるためのノウハウが必要となる。
「そしてたどり着いたのがロンドンメトロポリタン大学ビジネススクール、つまり MBA 留学です」
1999年に英国に渡った島川さんはここでサステイナブル・ツーリズム・ポリシーに出会う。
「観光って、ともすればブームを巻き起こすんです。例えばテレビの歴史物ドラマがヒットすると、舞台となっている地域に注目が集まりツアーが組まれたりする。日本ではこれまで、何かそうやってブームを作り上げること、ブームにあやかることが観光ビジネスの主流だったりします。でも、いったんブームがおさまると、舞台となった地域の観光ビジネスは急激に冷え込んでいく。そのような観光振興ではなくて、持続的にそれぞれの地域の魅力を伝えていくこと、未来永劫、観光地を観光地として継続させること、観光が充実することで地域住民も継続的に恩恵を受けられること、つまり産業として機能すること、それがサステイナブル・ツーリズムの考え方です。長期的な視点で考えると、このような考え方で日本の魅力を世界にじわじわと伝えていくことが大事だと思ったんです。まさに目から鱗の発想でした」
英国の観光学の特徴とは?
「いろんな考え方や切り口があると思いますが、ひとつは開発学というものが影響していることです。英国はご存じのようにかつて多くの植民地を抱えていました。これは英国歴史の光と影の部分ではありますが、開発に対するノウハウが蓄積されたことは事実だと思います。ですから観光を考えるときにも“いかにしてその地域を活性化させ、経済的にも安定させていくか”という側面から捉えるのが自然な考え方だったのではないでしょうか。いずれにしろ私は、サステイナブル・ツーリズム・ポリシーに傾倒していきました。この考えを提唱していたのは同大学のデビッド・ハリソン先生ですが、あの頃の私は彼の考えを少しでも吸収しようと必死に勉強しましたね。MBA なのでそれだけでも大変なのですが、MBA に加えて MA の講義にも参加するなど、とにかく夢中でした」

運命の選挙戦

2001年、英国留学を終えた島川さんは、身に付けたノウハウを実践の場で生かす道を模索した。
「当時、韓国は観光政策がしっかりとしていて、ここでならより多くのことが学べると知りました。そうしたら幸運にも韓国観光公社に入ることができたんです。当時、インターネット技術が普及してきていたこともあり、ウェブサイトを立ち上げて韓国の魅力をアピールするなど、充実した日々を送っていました。ところが働き始めて実質2カ月ほどで韓国観光公社を辞めることになったんです」
それは参院選への出馬要請だった。当時、世論は自民から野党への政権交代を期待しており、野党も党を越えて打倒自民を掲げ、これまでにないフレッシュな人材を捜していた。そこで白羽の矢が立ったのが島川さんだった。
一度は政治家を志したこともある。お世話になった韓国観光公社の上司も「せっかくのチャンスだから」と背中を押してくれた。島川さんは、政治家になることを決めた。しかし……
「負けました。選挙は風とよく言いますが、選挙戦も当初、私によい風が吹いていてくれると信じていたんです。それが急に風向きが変わった」
小泉純一郎氏の出現だ。例の“改革のためなら自民党をぶっつぶす”という言葉はあまりにも鮮烈で、改革を熱望していた民意を一気にさらっていった。皮肉なことに、日本を変えていきたいと政治家への転身を覚悟した島川さんは、対立する政党の改革論に押しつぶされてしまった。
「とにかく、とても辛い経験をしました。結局その一度の選挙で、政治家を断念しなくてはならない状況となりましたし」

島川さんにも生活がある。いつまでもこの状況に手をこまねいてばかりもいられない。そこで観光コンサルタントとして自分の経験を生かしていこうと思った。
「それもダメでした。選挙活動として顔が売れすぎてしまっていたのが、一番の原因だと思います。選挙後の日本は小泉総理一色に染まっていましたし、特に田舎では圧倒的な支持を得ていましたから。私の地元でも同じで、選挙において結果的に小泉氏と対立することになった私に対する風当たりは相当なものでした。まったく相手にされない感じ。それで、しょうがないからお好み焼き屋さんを始めたんです。まあ、つぶれちゃいましたけど(笑)」

初志貫徹の心得

何をやってもうまくいかない。独り身ならまだよいが、家族もある。何とかしなくてはいけない……。
「そんなある日、妻が言ったんです。“あなた、原点に戻りなさいよ”って。あなたがやりたかったのは、観光で日本を変えることでしょ? だったらもう一度そこに戻ればいいって」
そう言われても、当面の生活費を稼がなくてはならない。すると、
「お金ならあるからと。こういう時のためなのか、コツコツと貯金していてくれたんですね。本当に頭が下がります。女の人ってすごいなあって。でもそういう気持ちで貯めてくれたお金を使うわけにはいかない、ここで発奮しなきゃダメだと思ったんです」
文字通り“内助の功”に助けられた島川さんは、もう一度、東京に出て、一からスタートすることを誓う。

2002年、日本総研の観光コンサルタント(研究員)として採用が決まる。
「私は日本のトップ大学を卒業したわけでも、国内の大学院で研究していたわけでもありません。それでも英国で最先端の研究をしてきた自負はありました。英国留学がなければ、間違いなく採用されることはなかったでしょう」
2004年には東北福祉大学に講師として招かれ、福祉観光コースにて後継者の育成に尽力。その後、東洋大学で国際地域学部国際観光学科の准教授として採用され、研究を進めている。
「日本総研で採用が決まったとき、こう言われました。これからの時代は本当の民意を理解できる人間が日本を動かしていかなければならない。ときに泥水を飲むような経験をした私に、“だからこそ、思いっきりやりなさい”と背中を押してくれたんです。いろんな経験を積んだことは、決してムダではなかったんですね」

プロフィール

日本の大学卒業後、JAL に入社。退社後、松下政経塾に入り、観光事業の重要性を知る。London Metropolitan University に留学し、Tourism & Hospitality で MBA を取得。現在、東洋大学国際地域学部国際観光学科の准教授。

1998年
JAL を退社。松下政経塾で政治を学び、観光制作の重要性に気づく。
1999年
London Metropolitan University Business School (Tourism & Hospitality) に入学。
2000年
同大学で MBA を取得し、その後韓国観光公社に採用される。
2001年
参議院選挙に出馬。惨敗する。
2002年
再び上京し、日本総合研究所に入社。
2004年
東北福祉大に講師として採用。
2009年
東洋大学国際地域学部国際観光学科の准教授となる。
 
 

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